亡国の判決事件~名古屋地裁
過日、少子高齢化、介護者増加という現実に直面している我々 日本人にとって、震撼する「亡国の判決」が、名古屋地裁で下された。
まさに、介護経験者、現在介護中の家族にとって、
人権や人生など、法律の前には無力だと言わんばかりの
血も涙もない、形骸化した判決。
現実に、自分が(おそらく地球人なら誰しも)
この家族の立場だったら、到底不可能な責任を問われたのは、
事件当時 85歳(現 91歳)の 要介護認定も受けている奥さんと、
離れて暮らしながらも、毎週 両親の元に通い、様子を見ていた孝行息子だった。
「親の面倒を看ない 子兄弟とか、介護放棄した親不孝者は、
責任を問われない」というのが、判決結果だから、
まさに、介護放棄と 親不孝を勧めるに等しい判決。
裁判所のありかた、法律自体、時代にそぐわないなら、
改めるべきだ。
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認知症男性、線路に入り死亡 電車遅れで遺族に損賠命令
2013/8/10
認知症の男性(当時91)が線路内に立ち入り電車と接触した死亡事故で、家族らの安全対策が不十分だったとして、JR東海が遺族らに列車が遅れたことに関する損害賠償を求めた訴訟の判決で、名古屋地裁(上田哲裁判長)は9日、男性の妻と長男に請求全額にあたる約720万円を支払うよう命じた。
判決によると、男性は2007年12月、愛知県大府市のJR共和駅の線路に入り、東海道本線の列車と衝突して死亡。男性は同年の2月に「常に介護が必要」とされる「認知症高齢者自立度4」と診断されていた。
上田裁判長は、同居していた妻が目を離した隙に男性が外出し、事故が発生したとして「妻には見守りを怠った過失がある」と認定。別居している長男についても「事実上の監督者」とし、「徘徊(はいかい)を防止する適切な措置を講じていなかった」とした。
男性の家族らは、妻は事故当時85歳で、常時監視することが不可能だったなどと主張。しかし上田裁判長は、介護ヘルパーを依頼するなどの措置をとらなかったと指摘。「男性の介護体制は、介護者が常に目を離さないことが前提となっており、過失の責任は免れない」とした。
【日経新聞】
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFD0902J_Z00C13A8CN8000/
遺族に賠償命令 波紋呼ぶ 認知症男性、電車にはねられJR遅延
2013年8月29日
認知症の男性が電車にはねられたのは見守りを怠ったからだとして、電車の遅延の賠償金約七百二十万円を遺族からJR東海に支払うように命じた判決が、名古屋地裁であった。判決は「認知症の人の閉じ込めにつながる」と波紋を広げている。遺族は控訴した。 (佐橋大、山本真嗣)
判決によると、二〇〇七年十二月、愛知県大府市の男性(91)=当時=は、同居で要介護1の妻(85)=同=がまどろむ間に外出。同市の東海道線共和駅で線路に入り、電車にはねられ死亡した。
男性は〇〇年、認知症状が出始めた。要介護度は年々上がり、常に介護が必要な状態となり、〇七年二月から要介護4に。事故当時、週六日デイサービスを使い、妻と、介護のため横浜市から近所に転居した長男の嫁の介護も受けていた。
遺族側は、事故は予見できなかったと主張したが、判決は、医師の診断書などから男性の徘徊(はいかい)は予見できたとした上で、介護体制などを決めた横浜市の長男を「事実上の監督者」と認定。男性の要介護度が上がったのに、家に併設する事務所出入り口のセンサー付きチャイムの電源を入れるなどの対策をせず、妻も目を離すなど注意義務を怠った結果、男性が第三者に与えた損害は償うべきだとして、JRの求める全額の支払いを二人に命じた。遺族の代理人やJRによると、認知症の人による列車事故の損害賠償請求訴訟の前例は把握していないという。
賠償を命じられた遺族の長男は「常に一瞬の隙もなく見守るなんてことは不可能。家族でやれることはすべてやってきた」と主張。代理人の浅岡輝彦弁護士は「判決が認められれば、徘徊歴のある高齢者の家族は、すべて事故時に責任を負わされるおそれがあり、介護が立ちゆかなくなる。JRは線路への侵入防止対策を十分にとらないまま、遺族にだけ賠償請求するのはおかしい」と指摘する。
一方、JRは「男性の介護の体制を取り決めた家族に監護、監督責任があると考え、支払いをお願いしたが、応じていただけなかった。熟慮した結果、公正な判断を仰ごうと提訴した」と説明し、判決は「主張が認められた」と評価。線路への侵入防止などの安全対策については、「法律上求められている安全義務はすべて果たしている」と主張する。
遺族側は、金を持たない男性が大府駅の改札を通り、隣の共和駅に移動したとして、JRの管理の落ち度を指摘。しかし、男性が家から事故現場に行った経路は分かっておらず、判決はJRの過失はないとした。
東海地方の鉄道各社によると、同様の事故で損害が出た場合は原則、損害額を請求。認知症を理由に、請求額を減らすことはないという。
◆閉じ込めにつながる/社会的支援の視点欠落
判決は、認知症の人の在宅介護の在り方に影響すると、注目を集めている。
社会学者の上野千鶴子さんは
「判決は、認知症の人は拘禁状態下に置けと言っているのと同じ。高齢者介護の全責任が家族にある という考え方そのものが問題だ」
と指摘する。
「介護に深く関わった家族に責任を求める判決で、いっそ認知症の人に関わらない方がよいという考えを家族が持つのでは。
介護事業所も責任を問われるのを避けるため、認知症の人を外に出られないようにしたり、受け入れを拒んだりといったことが広がりかねない」
と影響を心配する。
医療や介護の関係者も
「介護する家族に厳しい判決」とみる。
認知症の人と家族の会愛知県支部の尾之内直美代表は、
判決の求めるような常に男性を見守るヘルパーの配置は今の制度ではできないとし、85歳で要介護1の妻の責任を全面的に求めたことに驚いた。
北九州市で訪問診療をする医師長崎修二さんは
「老老介護に対する社会的支援の視点の欠落」を感じた。
一般論とした上で「85歳の妻が90代の認知症の夫を介護する負担は大きい」と指摘。「介護する家族の大変さに目を向け、認知症の人の見守りは社会全体ですべきだ」と語る。
【東京新聞Web】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2013082902000171.html
==(有識者のコメントつき 報道記事)=================
線路への飛び込みや接触事故など、電車遅延につながる事故を起こした場合、事故を起こした当人・遺族に莫大な損害賠償が請求される。迷惑行為として当然のことのようにも思えるが、8月初旬、名古屋地裁で認知症男性の列車事故について、遺族に約720万円の賠償金支払いを命じる判決が下ったことはご存じだろうか。
■わずかな隙に行方不明に
これは、2007年に当時91歳の認知症男性が、JR東海道線共和駅(愛知県大府市)の線路に入り、列車と接触して死亡した事故についての損害賠償訴訟への判決。JR東海は、電車の遅延や振り替え輸送などの損害について、その賠償金約720万円を男性の遺族に求めていた。
男性は同居する要介護1の妻(85歳)と、他県から介護のために転居してきた長男の嫁の介護を受けて、デイサービスなどを利用しながら自宅で暮らしていた。2000年の認知症発症から徐々に症状が進行し、2007年には常に介護が必要な状態となっており、要介護4だったという。
事故当日は、午後4時半頃、デイサービスから帰宅後、妻や長男の嫁とお茶を飲んで過ごし、嫁と妻が目を離した隙に外出。午後5時頃、嫁が男性がいないことに気付き、近所を探すが見つからず、午後5時47分に事故が発生した。
事故は予見できなかったとする遺族側に対して、名古屋地裁は医師の診断書などから徘徊を予見できたこと、出入り口にセンサーを設置していなかったことなどを理由として、JR東海側の賠償請求を全額認める判決を下した。この判決を不服とし、遺族は控訴している。
■時代に逆行した判決ではないか
しかし実際問題、在宅生活をしている認知症高齢者を、30分の隙も作らず常時見守り続けるのは不可能に近い。一人歩きをさせないためには、家にカギをかけ、閉じこめておくより方法はない。しかしそれは、一種の身体拘束にほかならない。時代に逆行した対応である。
この判決は在宅介護をしている家族だけでなく、認知症の高齢者を受け入れているデイサービスや入所施設にとっても重大な問題だ。事故リスクを恐れ、一人歩きの恐れがある認知症高齢者は受け入れない、という事業所や施設が出てくるのではないかと懸念する声もある。
列車事故が起きた際には、鉄道会社は多大な損害を受ける。そのため、理由の如何に関わらず、事故原因となった人やその遺族に損害賠償請求をするのは、鉄道会社としては当然のことかもしれない。しかし、この男性のように、身体機能が衰えていない認知症高齢者はどうしても一人歩きによる事故リスクをはらむ。そのリスクヘッジを、全て介護する家族の責任とした名古屋地裁の判決は、時代に逆行し、住み慣れた自宅で継続して暮らせる地域作りを進めようという地域包括ケアの理念にも反しているのではないか。
認知症高齢者がさらに増えていく中、今後もこうした事故が発生する可能性はますます高まっていく。その責任を、介護家族、介護者だけに負わせるのではなく、社会全体としてどうすれば防げるのかを私たちひとりひとりが考えていく必要がある。
当てもなく一人歩きしている高齢者を見かけたら、地域住民が気軽に声をかける。そんな社会になれば、事故リスクは低減するはずだ。
公共輸送を手がけている鉄道会社は、こうした事故を防ぐため、社会に対し、認知症高齢者をいかにして地域社会で見守っていくべきかという問題提起をできないものか。
そして司法は、多数の認知症高齢者を抱えていくこれからの地域社会がどうあるべきかに思いをいたした法解釈を行うことはできないものか。
そう感じた判決だった。
宮下公美子(介護ライター)
【知るナビ 寄稿】
http://www.sil-navi.com/whats/detail.php?rssid=11326
◎参考記事
東京新聞 2013年8月29日
「遺族に賠償命令 波紋呼ぶ 認知症男性、電車にはねられJR遅延」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2013082902000171.html
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このサイトでお話ししている わたしの親父は、
一生懸命働き、家族を養った、いわば 「日本の親父」の模範的な人だった。(もちろん、裏目に出た部分も、かなりあったのだた)
私自身、この親父と祖母に育てられた部分が大きいので、
最期まで看取った。
一方で、母も妹らも、介護を無視、放棄していたので、
男手1つの介護は、やはりきつかった。
家族がいるのに、介護は自分だけ。
私も、そんな事実を前に、何度か投げ出したくなったことすらあった。
祖母は、 亡くなる直前まで、元気で自力で歩いていた。
痴呆症にはならずに済んだので、むしろ「ピンピンコロリ」に近い、理想的な死に様だった。
父も、体はいうことをきかなかったが、頭はしっかりしていた。
看取り終えた今、思えば、私は運が良かったのである。
今回の判決は、
「介護するからには、費用負担を含め、全責任を負え。
人生で1分1秒足りとも、介護責任は逃れられない。
気を休めるな。
親孝行は、親の責任を全部負う覚悟でしろ。
介護を放棄すれば、責任を負わなくて良い。
親不孝者は、楽し続けて、最後も笑う、救われる。」
まさに、少子高齢化社会において、親不孝がトクだ、と言わんばかりだ。
相続の時は、親不孝者でも、遺留分請求できるから、
孝行息子は、ここでも さらなる経済的、精神的打撃を受けるのだ。
日本から 親孝行、介護、看取るということが、無くならないことを、
願うばかりである。